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元フィロソフィーのダンス・奥津マリリが株式会社SAKURAYA ENCを設立。「アイドルオタクのための介護施設」を目標に掲げ、現在はデイサービスで働く

2026年6月に活動を終了したフィロソフィーのダンスのメンバー・奥津マリリが、10月1日のトークイベント「新・マリリが逢いたい」で株式会社SAKURAYA ENC(サクラヤアンク)の設立をサプライズ発表した。目標に掲げるのは、現役時代から話していた「アイドルオタクのための介護施設」。すでに「レクリエーション介護士2級」「認知症介助士」の資格を取得し、デイサービスで働きながら実務者研修に通っている。

OSHI.編集部 · 2026/10/20

更新日:

元フィロソフィーのダンス・奥津マリリの会社設立と目標を記したOSHI.のイメージカード

OSHI.編集部作成のイメージカード(情報:音楽ナタリー) · 画像の出典 ↗

10月1日のトークイベントで会社設立をサプライズ発表

奥津マリリが10月1日、トークイベント「新・マリリが逢いたい」の場で、株式会社SAKURAYA ENC(サクラヤアンク)の設立をサプライズ発表した。イベント終了後には自身のXにステートメントを投稿している。 そのステートメントでは、社名の由来、「オタクの皆様の為の介護施設を作りたい」という目標、そして「メディア出演・イベント出演・MC・介護福祉関連等」の仕事依頼を受け付けていることがアナウンスされた。奥津は社長と所属タレントを兼ねる形になる。 奥津が所属していたフィロソフィーのダンスは、2026年6月に活動を終了した。それから4か月近くが経ったタイミングでの発表だった。音楽ナタリーは、会社設立と同時にアナウンスされた問い合わせメールを通じて取材を申し込み、10月19日にインタビュー記事を公開している。

活動終了後は「何も決めない」時間を過ごした

インタビューで奥津は、卒業ライブの時点でその後のことをまったく決めていなかったと語っている。何をするか決めず、何も考えずに過ごしてみて、その期間にポッと出てきた自分の中のやる気の芽を信じてみようと考えたという。 その期間はとにかくポケモンをやっていたと本人は話す。不規則な生活をして、食べたいものを食べ、起きたい時間に起き、寝られるだけ寝て過ごしたという。そうして「本当に自分って何者でもない」「ここまでフラットに、ただの人間になれるのか」という驚きがあったと振り返っている。 11年にわたって人前に立ってきた生活からの落差について、本人は「私よく11年も人前に立って、キャーキャー言って、歌って踊ってきたなあと思うくらい」と語っている。活動終了直前の取材で「しばらく近所のスーパーでバイトしてると思います」と答えていたのも、本当にその通りだったということになる。

音楽の道を選ばなかった理由

奥津はもともとバンドやソロシンガーとしての経歴を持ち、そこからアイドルシーンに飛び込んだ人物だ。それだけに、ソロシンガーへ戻るという選択がありそうなところだった。 本人はそれを選ばなかった理由を、やり切ってしまった感覚だと説明する。バンドもやり、弾き語りのシンガーソングライターもやり、アイドルもやった。「ファンの方と一緒に大きなところを目指す」ことが自分にとっての音楽活動の楽しみであり生きがいだったが、それをフィロソフィーのダンスでやり切ったと感じてしまったため、またイチから音楽でそれをやることが考えられなかったという。 ただしグループへの思いは残っている。フィロソフィーのダンスはもっと知られるべきだと思っていたし、まだバズることをあきらめていないとも語っている。ひと昔前の曲が急に流行ることもある時代だから、その可能性を信じている最中だという。 ライブを開けばファンは集まるだろうし、トーク配信の投げ銭でも生活はできる。それでも、明確な目標も向かうところもないのに人を呼び寄せることは、自分の生活費のために集まってもらうようでしっくりこなかったと述べている。

「一緒に武道館を目指すぞ」が「一緒に介護施設を作るぞ」になった

何を考えてもしっくりこない中で、本人が10年前から「老人ホームをやりたい」と言っていたという話が出てくる。そこへ「じゃあ看板掲げればよくない?」「自分で会社作っちゃえばいいじゃん」とフワッと言われたことが、最初の「ビビッと」になったという。 「施設を作る」という大きな夢と目標があれば、ファンの人に「来て」と言える──そこから一気にやる気に火がつき、会社を立ち上げるまで1か月ほどだったと語っている。 構えている時間軸は長い。施設の実現については、正直できるかどうかわからない、動かないことには始まらないという見切り発車だと本人は認めている。そのうえで、たとえば30年という期間を想定し、30年後の約束を信じて待たせるのではなく「じゃあ30年一緒にいよう」という形で、どういう場所に作るか、どういった施設がいいかを一緒に明確にしていけばいいと考えたという。 アイドルとファンが「一緒に日本武道館を目指すぞ」「チャート1位を獲るぞ」と一致団結する構図が、そのまま「介護施設」にスライドしている。本人も「何百人と入る学校みたいな施設だけじゃなく、いろんな施設がある」「アイドル時代を生きてきた人が広く入れるようなものを作りたい、というのが今の私にとっての武道館です」と語っている。

なぜ10年前に「オタクの介護施設」を考えたのか

構想の出発点は、アイドルになって考えが変わったことだという。アイドルになって初めて「人生を懸けて応援される」という経験をし、時間とお金と思いを受け取った。 その中で、自分よりずっと年上のファンもいることに気づいたと語る。「私はこの人たちの婚期を逃させているのかもしれない」「この土日に同じ熱量で婚活に挑むこともできるのに、時間も予算も私たちに費やしてもらっているのはどうなんだろう」と考えたという。 さらに、年を取れば足腰を悪くしたり病気になったりして、ライブハウスに通うことができなくなる。人知れず命が燃え尽きていたら、と考えると悲しくなり、「死ぬまで幸せにしてやりたい」と思うようになったと述べている。「こんなに人生を捧げてくれるオタクのために、私は何ができるだろう」という問いが、「オタクの老人ホームを」という考えにつながった。 アイドルとファンの関係を、現場に通える期間だけで区切らずに考える発想だ。シーンが拡大して15年が経ち、支えてきた側も年齢を重ねているという現実に、正面から向き合った問いになっている。

資格を取り、デイサービスで働きながら準備している

会社の目標とは別に、奥津個人の当面の活動も具体的に進んでいる。 介護面では「レクリエーション介護士2級」と「認知症介助士」の資格を取得し、現在は実務者研修の資格を取りに行っているという。働き先はデイサービスだ。ただしデイサービスには寝たきりの方や自分で歩行ができない方があまりいないため、経験を広げるために、レクリエーションボランティアで施設を訪問したり、派遣バイトでさまざまな形態の施設で働いてみることを考えているという。いろんな施設を見学するという意味も込めた動き方だ。 ファンとの交流も続けたいという思いがあると語っている。会社では「メディア出演・イベント出演・MC・介護福祉関連等」の依頼を受け付けている。

「介護職はアイドルこそ向いている」という主張

インタビューで奥津が強く語っているのが、元アイドルのセカンドキャリアとして介護士を勧めたいという話だ。 理由のひとつは承認欲求だという。アイドルをやめたあと、承認欲求が満たされずに戻ってきてしまうことがある。アイドルでなければチヤホヤもされず、人前でかわいいと言われることもなく、キレイでいる理由も失う。ところが介護施設ではそれがすべて叶うと本人は言う。介護をしていると「キレイねー」と言ってもらえるし、レクリエーションを進行すると感心される。「ありがとうね」「助かるわ」と感謝される場所でもあり、働き甲斐があると語っている。 もうひとつは、顔と名前を覚える能力だ。アイドル経験のある人は、施設にいる数十人程度なら3日もあれば全員覚えられる、と本人は述べる。デイサービスを始めて2週間ほどの頃に先輩から「どう、覚えた?」と聞かれ「バッチリです」と答えて驚かれたという。コミュニケーション能力の高さ、そして相手の機嫌や体調を察知する力も挙げている。特典会の30秒でそれができるのなら、1日かけて一緒にいるのは「無限の時間を与えられているような感覚」だという言い方をしている。 この記事は音楽ナタリーの「アイドルのセカンドキャリアを考える」という文脈に置かれたものだ。同記事では、振付師となった槙田紗子(ex. PASSPO☆)、アナウンサーとして活躍する市來玲奈や斎藤ちはる、プロデュース側に回った指原莉乃(ex. HKT48)といった例も挙げられている。その並びの中で、介護という進路はこれまでほとんど見られなかった形だ。インタビュー全文は音楽ナタリーで読める。会社と今後の活動については、奥津本人のXでの発信を確認してほしい。